なんとかなるかな〜

55歳からまた新しい人生を

大人のゲーム依存

49歳から約4年間 ゲーム依存症になった過去

 

 約8年前ぐらいだと思う。はじめて使ったスマホはiPhone6plusだった。

その頃は家で仕事をしていたから自分の自由になる時間は多かった。スマホをもってからというもの、仕事をしながら動画三昧でドラマ、アニメ、バラエティを見まくった。YouTube視聴からゲーム動画視聴を経てスマホのオンラインゲームにはまり、ほぼゲーム依存症となりかけた。いやなっていた。

 そして今年55歳、去年やっとゲーム依存を脱しなんとか元の生活を取り戻している。といってもゲームはやめられたけど寝ているとき以外はほぼスマホを持っているので未だスマホ依存には変わりない。でも今はなんとか家庭生活と会社でも普通の仕事らしきことができているのではと思う。(私は高齢出産のため実はまだ小学生の子供もいる。上の子供は大学生)まだ少し後遺症はあるけど、ここ一年はゲーム界から人間界にもどってきた気がしている。

 2018年から2021年までの約4年間ゲームに熱狂していた。昨年ようやくやめることができた。やめられた理由はゲームに飽きたこととあと「このままではいけない」という漠然とした思いと家族への罪悪感めいたものだろうか。ゲームをやめる前は私自身はゲームするのが楽しくて仕方がなく、寝ているとき以外はずっとゲーム中心の生活をしていた。ゲームをしている以外の時間でもゲームの動画をみて攻略の戦略を考えたり、時には自分のプレイ動画も作っていた。はまりにはまっていたので、ある意味私は幸せだったと思う。

 4年間の間で2つのオンラインゲームをやっていた。おかげでSNSやゲームの用語、ネット用語も理解できて世界中の老若男女とも友達になった。ボイスチャットで片言の英語と翻訳機をつかえば海外のフレンドとも一緒にゲームができたし、それも楽しくてもうほんとに楽しくて仕方がなかった。決してゲームが強いわけでもなく下手なのに・・・。ゲームを通して初めて使ったgoogleスプレッドシート、戦績などを記録して自分の報酬を受け取る。オンラインゲームのボイスチャットのDiscordという通信アプリ、ゲームをやっていなければこういうのは使ってなかったと思う。

 仕事と家事も無茶苦茶ながら一応やってはいた。夜中までゲームをして体力が限界になったら寝るという睡眠時間がバラバラで短く、夜中に寝て早朝起きて3時間ほど寝てダッシュで息子のお弁当を作り、洗濯して干して自転車で仕事に行って帰ってきたら洗濯たたみながらうたた寝・・・。こんな生活を送っていた。アラフィフの私には体力的にきつすぎたはずなのだが・・・

 家では掃除をするのが億劫になり部屋がほこりだらけで荒れまくり。また自分自身の身だしなみも相当乱れていた。体重が大幅に増加、容姿を気遣わなくなり美容院にも滅多といかない。行く時間が惜しい。少しでもゲームをしていたかった。会社では痛い人扱いされてたかもしれない。今も全くもってぶさいくできれいのかけらもないけれどなんとか今は鏡を見る余裕はある。ドライヤーで髪を乾かすこともできる。化粧はほとんどしないけど肌の調子をチェックしたり自分を顧みる余裕はある。しかし当時は肌の調子どころか太っていてもダイエットなんて考えもしなかった。

 ゲーム依存による一番の被害者は家族かもしれない。

毎度の朝食と夕食は出来合いのものや簡単な料理ばかり息子の弁当も冷食多かったかも・・・育ち盛りなのに・・・学校行事の日程もよくわからずプリントなど全く見ないから相当適当で懇談や参観行くの忘れたり、学芸会や運動会で子供の出番を見逃したり...。後悔先に立たず・・・。だが幸いなことに息子は部活を最後まで頑張り、娘は明るい子に育ってくれている。感謝しかない。気持ちは懺悔懺悔だけど。家計管理も無茶苦茶で気が付けばいろんな支払日をすぎているなんてこともたびたび起こり、お金も相当無駄に使っていた。夫は私をゲームにのめりこんではいるが、ずっとしっかり者と勘違いしてきたので、お金の管理は私にまかせっきりで家計のやりくりが赤字とは知らなかった。私も詳細を把握する気もなく興味がゲームにしかなかった。でも赤字になったのはゲームの課金が原因ではない。生活費の長年の小さな積み重ねがふくらみやりくりをする気がなく赤字なのを見ないようにしていた。たしかに結構課金はしていたけど、私はいわゆる微課金といわれる少額課金する人たちの部類だった。月に多くても2万円ほど平均は1万円位。廃課金と呼ばれる人たちがいる中では全然下の方。でも赤字なのにゲームに課金するのはやはりどうかしていた。

 ゲームをするためにできるだけ早く家事をこなす日々。自転車の信号待ちでたびたび寝そうになってもやめるなんて考えなかった。ゲーム攻略のためにゲーム配信をみて最後は自分で動画も作るようになっていた。全くだれも見ないYouTubeだったけど満足だった。動画を作ることによってますます生活は乱れたが、まだまだゲームをやめる気はなかった。それがゲームを初めて二年目あたりだったと思う。そしてひとつめのゲームがちょっと飽きてきたころ、コロナ禍での生活が始まった。そしてふたつめのゲームに超ドハマりしてしまう。この時点でかなり生活が破綻していたのだけど第2のゲームの出現で気持ちがますますゲームに持っていかれていた。夫にもゲームの内容のことしか話さなくなって「ゲームの世界に住めたらいいのに」とか言ってドン引きされていた。